2012/11/10 初日だった

 初日だった。

 村上淳さんらとはじめてお会いして今回の企画が立ち上がってから、はや2年。15のときにはじめて映画を撮って、映画っておもしろいな、とからだで感じてからちょうど13年くらい。

 

 とか、書いてみたものの。

 正直にいって、まだ全然言葉にならないんだよな…。

 というか、言葉にする気もまだまったくわきません。すんません。

 

 昨夜の打ち上げには一緒に仕事をした仲間たちがいっぱい集まった。よくこのメンツと何日も現場やれたな、と思うくらい濃かった。うれしかった。1次会から2次会へとほとんどみんなで移動して。最後には卓球とボーリングまでして。ザ・元気。

 

 とにかく感謝したい方たちがいっぱいいる。時間はかかりますが、直接伝えられれば嬉しいです。

 

 

 とか書いた瞬間、それでも直接伝えられない人のことをふと考えてしまった。

 

(個人的なしめっぽい話で恐縮だけどこういう日しかないので…)

 この二年でじーちゃんが二人とも亡くなって(企画が動いたその日とクランクインの直前だった)、まあいい年での往生だったから幸せだったのだけど、今回のエンドクレジットにはこっそりスペシャルサンクスで名前をいれさせてもらっている。

 

 亡くなったことへの感情を書きたいわけではない。

 彼らにかつていろんな日々があったことを想像するのが楽しいから、たまに思い出す。まだ自分が生まれてもいない、○年の○月○日とかが「マジで」あったわけでしょう…(あたりまえだけどさ…)。超重要な日もくそみたいな日もあったに違いないわけで。

 

 そういう時間が、いろんな人の時間が、ずっと続いているうえでのいまこの瞬間、それを頭のなかでイメージするのが楽しい。というより、たまにふっとそんな感覚が降りてくるときがある、という話。ぼんやりと、でも確実にある。

 

 いまこの瞬間もすべて跡形もなくなっていく、ということに対して、それでもほんのちょっとだけ、いまはないがかつてはあった、ということを想像するための、なにかきっかけとして、映画をつくっているのかもしれない。

 …いや、たぶんそれじゃまだちょっと弱い。 そこからさらに、どれだけいけるか。

 

 消えていく瞬間は、新しいものがどんどん形になっていく瞬間でもある、ということ。

 形になっては消え、形になっては消え、というイメージを、

 消えては形になり、消えては形になり…そんなイメージに書き換えていくこと。

 

 …と、このままもうちょっと巧いことを書きたいのだが、まだ筆が及ばないや。

 

 『Playback』はそういう気持ちで撮りました。

これはメッセージではなくて、単に、おれの気持ちだから、もともとは書く気はなかったし、すぐに消したいくらいだけど、ま…。一応消さずに残しておきます。

 

 さて、これから上映が続く。いつかは上映が終わる、のはあたりまえだが、その日の想像がまったくつかない。こういう感覚ははじめてです。

 

三宅